書道(syo-do)に必要な道具

必ず聞かれるのが道具である。
書道をやるのに必要な道具を書きたいと思う。

1.筆(1000円程度、もっと安くてもいい)
2.墨汁(1000円程度、もっと安くてもいい)
3.書道用の下敷き(300円ぐらいだろうか。100円でもあったと思う)
4.硯(もしくは、なんらかの墨うけのための器)
5.紙(極端な話、白ければ上質紙でもやれなくはない)

以上かな。

1.筆について
 よく幾らの筆がいいのか聞かれるが、1000円ぐらいので構わない。
 下手なうちは良い筆をもったところで潰すだけである。
 しかし、道具からこだわりたい人はこだわってもいいと思う。ただ、何の影響もない。完全な自己満足に過ぎないだろう。
 安い最近の筆は化繊のものが主流のようだが、一向に支障はない。

 中には、「なんでもいいのであれば、絵筆でもよいのか?」と聞かれることもある。
 絵筆はやめよう。あれは別ものである。その字のごとく「絵」のための「筆」である。
 書がしぬだけであるし、まともな筆でちゃんと書けなくなる可能性も否定できない。
 そもそも筆鋒がいきない。

 行き過ぎればパフォーマンスのみとなり書の伝統や原型をとどめない。
 伝統を基板としてこその「書」「道」なのだと考えている。
 単なるパフォーマンスに伝統はなく、一世代のけったいな行動だけで終える。
 パフォーマンスでいきたいのであれば他の方法があると思う。

2.墨汁(ぼくじゅう)
 別に100円の墨でも構わない。
 単に私はそのランクの墨を使っているだけだ。
 練習用には構わないが、古いのはやめよう。
 墨は経年劣化する。

3.書道用の下敷き
 これは汚さないために必要だ。
 新聞をひいて書いたとしたら、1回でべっとりとしてしまうだろう。
 汚れないという点で優れいている。

4.硯(すずり)に相当するもの
 硯は極端な話、器であればなんでもいい。墨汁と水をいれるための器だ。

 あとは趣味の世界だと私は思う。
 硯の役目とは、本来は墨をすり、ためるためのものであったが、
 墨汁が進化した今、墨をする行為は特に意味はない。
 野尻氏に言わせれば「墨をする時間があるなら1枚でも書くことに費やすべし」である。

 墨をする時間が気持ちいい。
 そういう方もいらっしゃるであろう。そういう方は墨をすっても構わないと思う。ただ、相当な量が必要となるだろう。よってかなりの時間を注ぐことになるであろう。墨をすっている時間は書とは関係のない時間とも思える。

 墨色がどうのと言われることも多いが、それは多くの場合はそれ以前の問題のように思う。
 師の傍にいると「墨色が素晴らしい。どのような墨をお使いですか?」と言う声を耳にする。
 師は「企業秘密です」と言って笑ってみせるが、ごく当たり前の墨汁で書いているのを目の当たりにしている。

 脱線するが、これは意地悪ではない。
 以前は正直に言っていたのだが、きく側が「そんな筈はない」と聞く耳をもたないことがほとんどであった。
 師もいささか面倒になり現在に至った。
 そうした場合に師はニヤリと笑みをつくり、あとで(腕がよければ色もよく見える)と一人ごつる。

 墨色を気にする前に、字形やその他気に止めるべき部分が多すぎる。
 墨の色はその世界を脱した人が考えた方る次元なのだろうと思う。字がまずければ何も語るものはない。

 よって使わなくなった茶碗でも構わない。

5.紙
 これは書道店で最も無難な高からず安からずの紙が個人的におすすめだ。
 んー・・・今度、具体的に値段を調べておきます。

 多くの人はそれ以前の問題である場合がほとんどなので、なんでもいいと言いたいが、
(実際、私の師匠は「紙は白ければいい」と常日頃から言っている)
 安すぎる紙でみれる字を書くのは想定外に大変である。経験済である。

 昔、安すぎる紙を大量に買ったことがある。
 家にかえって筆をいれびっくりである。
 「ちょwwww これ無理wwwww」と一人で笑った。
 ただ、これは一重に腕のなさである。事実、わが師はサラサラっと書いて。
 「この紙はひどいねぇ(笑)」と笑っていたが、到底そうは思えない字がそこに踊っていた。
 (腕だなぁ)と自らの腕のなさを落胆したものである。
 1000枚で・・・1000円しなかった。
 1000枚で1500円クラスになると、途端によくなる。
 
 かといって、
 それほど紙にこだわる必要はないだろう。
 多くの場合、繰り返すようだがそれ以前の問題である。
 目的は書くことであってコレクションではない。
 書がひどければ以上である。
 道具で満足して筆をとらない例は枚挙にいとまがない。
 それはコレクターであり、書をやっているとは言えないように思う。

最後に道具ではないのでリストしなかったが、
・場所

いつでも硯をおき、下敷きがひかれ、筆がのっている。そういう場所を確保することは大切である。
藝術に限らず、「やりたい!」というその瞬間がもっとも大切である。
多くの場合、
用意しているうちに気がそがれ意欲を失ってしまう。
私のように気が多い人間にいたっては、光の速さのごとく興が削がれる。(笑)
場所という環境は書に限らず何かをするには非常に重要な要素となるだろう。
場所が用意できない人は、小学生時代に誰しもが買った「書道道具セット」はありかもしれない。
内容もあれで十分である。最小限の時間で道具が一式かける準備にいたる。

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東京都並区西荻南の書道塾です。
松里鳳煌が運営させていただいております。

鳳煌会は泰永会の流れを組む書道塾で、古典による臨書を基調としています。
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奥が深く、それでいて幾つになっても始められいつまでも続けられる文化です。
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