書道?書パフォーマンス?

私の考えを「思想」というラベルで分別し、書いていきたいと思います。
同時に「書道」ってなんだろうという考えを「書道というカテゴリを考える」ではっておきます。
拙い知識と見識なため、至らない点も多いかと思います。
興味のない方は素通りして下さい。

昨年から書道が注目を浴びているとの話をよく言われます。
「そうだね」と言う一方で、
毎度のことながら「あれは書道なのだろうか?」と思いを馳せることしばしばです。
「ま、一緒くたに書道でいいじゃん」と言われてしまえば、
「だよねー」で済ませてしまう性格です。
もとより派手なのは好きなのと、お祭り騒ぎは好きなので、嫌いではありません。
ですが、内心は完全に区別して考えております。

「書道」は、「書」「道」であるが故に伝統とそれに伴う蓄積があると思います。

また、結果を見せるものであって、その書いている過程を見せるのが主ではないと思います。
つまり書いている経過が派手であっても、作品が残念なものでしたら意味がないと考えます。
確かにああした行為は目を引きますが、作品が上手くかける為の行為ではありません。
とすると、あれ「筆パフォーマンス」であって、書道ではないと考える方がしっくりいくように思います。
旧来からの書家からすれば言語道断なのでしょうが、私は嫌いではありません。師匠の眼光が鋭く私をいりそうです。(笑)
ただ、あれを「書道」と言われると「え?」と目が点になってしまいます。

目的を決めないで旅に出れば、どこへつくか誰にもわかりません。
当然です。それがいけないと言うわけではありません。「目的を決めていない」ことを把握していることが大切だと思います。
それと同じで、「書」の道を歩むのか、「筆」パフォーマンをやりたいのか、目的地は決めておいたほうがいいように思います。繰り返しますが「決めていない」とわかった上であれば決めなくても構わないと思います。なので、筆パフォーマンスから書の道へ進むのもアリだと思います。何せ道具は基本的に一緒ですから、わりとすんなり入れると思います。

気になるのは、目的を決めずに旅をしていると、知らぬうちに目的とは違う場所についてしまうことです。それでも構わないのですが、人は往々にして「ここが目的地だ」と勝手に思い込んでしまう場合があるということです。目的を決めてもたどり着くのは大変なのに、決めなければ尚更大変だから仕方がありません。例えば、熱海にいくつもりで、札幌にいた場合。
「ここが熱海かー」と言われても、
「いやいや、札幌ですから!」と突っ込まれてしまうでしょう。
それでも本人は恐らく気づかないでしょう。それでは話が噛み合いません。

いずれの道も極めるのは一筋縄でないことは確かです。
上を見れば果てはなく、下をみても底は見えません。
お互い精進しましょう!!

投稿者: 松里 鳳煌

Calligrapher,Novelist,DTP Worker,Type Face Designer. YATAIKI representative. HOKO-KAI representative. Vice president TAIEI-KAI association. GEIMON-KAI members.

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