万人向け:書のメリットって?No1

はじめに

文章を通し、「書」に少しでも親しんでいただければと思い、今後幾ばくかでも書いていこうと思います。ご興味がありましたらご一読いただけると幸いです。

接頭語

本文章は、「万人向け」「初心者」「アート」「書家」「生徒」といった接頭語をつけ読む側の対象をある程度明確にして参ります。書家の野尻泰煌先生は兼がね言いました。「人を見て法を説け」これは仏教からくる言葉ですが、釈迦が相手を見て法を説いたことから来たとされています。

「書家」「生徒」といった接頭語はロックをかけ弟子のみ閲覧可能な内容になります。何事も深く道に分け入ると致命的な誤認が道を誤る要因になる場合があります。生徒であれば「いや、それはね」と誤解を解くことも可能ですが、不特定多数ではそれもできません。また、そもそも言葉で真に理解するこは叶わないと痛感します。それでも可能な限り砕いていければと考えております。

道の意味

「万人向け」とは、道へ入る気が無い方々を対象にします。よくわからないかもしれませんが「あの先に古代の財宝があるんだってさ」ぐらいに捉えていただければ幸いです。

「初心者」に相当する部分は、少し心得があるけど、この道の先はどうなっているんだろう? と考えておられる方です。先に進むか、手前の段階で楽しむか迷っておられる方もいるでしょう。私はココの方々が増えるか増えないかに伝統文化はかかっていると感じております。何故なら、この方々が多くないとその先へ進もうなどとは思わないからです。

そこから先は分け入るほどに魔窟やトラップがあり危険を伴います。慎重に進んで下さい。そして多くの場合後戻りは出来ないでしょう。どの道であれ、分け入ったら最後、腹をくくるしかないのです。

私は師に「後世の為に書論を残して欲しい」と何度か願い出ました。当初こそ理論先行の無意味さを説かれ「自分の仕事の纏めとして書くことはあっても誰かに見せるつもりは無い」と仰っていましたが、昨年度再び申し出た際に「それもそうだね。今後出来るだけ書いていくよ」と気がわりした矢先です。その年の終わりに急逝されました。師は最後の電話で「野尻泰煌論を書いて欲しい」と言葉を残しましました。今後、こちらで書くこれらの文章は師が分け入った「書」に関する道への地図の一つになると思います。

結論

「もう読むのが面倒くさいからズバリ言ってくれ」と仰る方、シンプルな答えを言うとしたら、

「極めて有意義だから」

書をやる意味

「なんで日本人は書をやり続けたんだろう?」

私の子供の頃からの疑問でした。答えは二人目の師である野尻泰煌という書家がもたらしてくれました。野尻先生との二十三年におよぶ問答と実践の中で体感として得られた気がします。腹に落ちたのは何年でも無い最近のことです。

私は小学校二年生より書を続けてますが、個人的な理由は「先生がいい人達だったから」です。個人の動機なんてそんなものだったりします。ですが、総体となると話は違ってきます。人間には欲があるからです。

何回かに分けて書こうと思います。

※本シリーズはタグ「書のメリットって?」をクリックすると纏めて記事を読むことが出来ます。

投稿者: 松里 鳳煌

Calligrapher,Novelist,DTP Worker,Type Face Designer. YATAIKI representative. HOKO-KAI representative. Vice president TAIEI-KAI association. GEIMON-KAI members.

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