告知:第二十八回 泰永書展-ハンガリー国際交流展-

鳳煌書道会の親組織となる泰永会の本年度書展、第二十八回泰永書展ーハンガリー国際交流展ー の開催まで丁度一ヶ月とりました。お近くへお寄りの際は是非お立ち寄り下さい。

泰永会ホームページ:https://taieikai.jimdo.com/

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鳳煌書道会のサイト新設に際し

なんとも不思議なもので今年の7月20日で最初の師である亀井鳳月さんの七回忌、8月10日で野尻茹園さんの17回忌を迎える。
不意に「なんとかしないと」そんな思いが浮かび、まずは得意とする部分でサイトの新設を思いつく。書道・鳳煌会(鳳煌書道会):http://hoko-kai.yataiki.net/
書道鳳煌会の開塾にはこの2人の後押しがある。

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第二十五回泰永書展が閉幕

今週の火曜日23日に第二十五回泰永書展が閉幕いたしました。私は事務局の方を携わらせていただいておりますので、まだ事後処理に追われている調子です。

自作に関しては、昨年の大きな課題を背負っての出展でした。今後の方向性が一部見えたような感覚があります。ご来場いただいたお客様にご感想をいただけ今後の活動の参考に活かせれば。ありがとうございました。

ある医師の漢詩)

本展ではある出会いと再会がありました。まるで本展のテーマである「運びと縁(えにし)」を体現したかのようです。

野尻氏より2年ほど前ですか聞いた話です。当時、氏は自作の漢詩制作に熱が入っており、丁度その滑り出しの時期だったに思います。ある漢文の和訳を頼まれたというのです。
氏「ほら僕のことだから、いつもなら面倒くさいから断っちゃうんだけど(笑)、丁度自作の漢詩を毎日やっているじゃない。だから気になって話を聞いてみたら、うちのご先祖と近いんだよね。水戸藩だったんだけどさ。そこにご縁も感たから受けることにしたんだけど、この漢詩の内容が素晴らしいんだよ読んでごらん。久しぶりに感動したよ」

そう言って渡され拝読しました。とても胸がつまりました。

氏「どうだい凄いだろ?!これだよ。これなんだよ!危うく断っちゃうところだったけど受けて良かったよ。(笑) 最初は忙しくて他人様の漢詩どころじゃないじゃない。まだ推敲を繰り返しているん段階なんだけどね急がないと本人が危ないみたいだから」
私「え?危ないって」
氏「これを読みたい人がかなりの高齢で体調が思わしくないようなんだ」
私「あらま」
氏「だから、ここ数日はコレしかやっていないんだよね。どうだい?」
私「え、もー完璧じゃないですか。もうこれで問題ないんじゃないですか?」
氏「おかしくないかね?急いでいても適当な返事はしたくないからさ。特に後半のコレがさっぱりわからないんだけど、これちょっと見てくれるかい?」
こういったやり取りがあり、しばし二人でこの医師の話題でもちきりでした。
 
出会い)

時折、その医師の生き様が話題に登ることはありましたが、すっかり細かい経緯等の詳細を忘れておりました。本展にて 「丁寧に見て頂いているご夫婦らしきお二人がいるなぁ」 と思いながら他の方を接客しておりました。タイミングが会えば感想でも伺おうと思っておりましたが、一旦出られたのが見えます。しかし再び女性が入室され、氏の方を向いているのが目に映り、「これは何か大切な用事がありそうだ」と歩みより話を伺うと、驚いたことにコノ医師のご親族でした。氏と面通し頂きその時の感動が蘇りました。

再会)

会には様々な事情から出入りがありますが、中でも印象に残るお弟子さんはおります。非常に小中学生が多い時期があり、年格好からいって甥や姪を見るような感覚で彼らを見ていました。別れは突然でした。大まかな経緯を聞いた時、私は「誤解もあるだろうに、なぜ引き止めないんでか?」と問いました。氏は「我々は特に個の自由意志を尊重する立場にある人間だよ。誤解であれ何であれ、それぞれ充分に熟慮した上で去ると決めたんだろうよ。それを止めるのは相手の意思を踏みにじることになる。そんな失礼なこと出来ないし、するべきじゃないと思うよ」と応えました。

それから10年近く経つでしょうか。本展最終日に、(どこか見覚えのある方がいらっしゃるな)と思いながらいました。氏より「ほら、憶えてる?」と声がかかり思い出します。当時の子のご親族でした。その後、本人も駆けつけて来て頂き、どこか遠いところに旅に出ていた甥や姪が元気に帰ってきたような喜びが。今の活動について話を伺うと、氏のスピリットのようなものが無意識下に感じられた話があり驚きました。新たな関係性の元で何かが動き出しそうです。

日頃より氏が言われている 「本物を伝えていれば、たとえその時はわからなくとも、いずれ何かしらの精神的支柱になることだってある」 というのが伺えた気がします。

何かと感じることの多い書展となりました。

野尻泰煌の出展作

第二十三回の泰永書展が開催となります。
今回の代表のメインは、
今年スペインで出展し話題を読んだ自詠の隷書作です。
参考出品として中国に出展された同じく自詠の隷書作も展示。
さて、
先程代表より連絡がありました。
「もう2作ぐらい出せる余裕あったよね?」
そうです。
もしも蔵出しされれば20年ぶり。
実物を見るのは私も初めてになりそうです。
1つは29歳の時に漢字Ⅰ類で毎日書を受賞した隷書作品。
そしてもう1つは、日本書学院出品作になるかもしれません。
いずれも発表されてからの初蔵出し・・・。
といいながら出てない可能性もあります。
師の行動は本人すら予測不能ですので、
その際は悪しからずご了承願います。

書は人間業の結果である

書で何が表出されるのか。
野尻は、「書は魂の象徴藝術である」と言います。
氏との問答を重ねた最中で異なる言い方もしました。
「判りやすく言えば”人間業の結果”と言い換えられる」

私の書仲間には
「書は字であり字以外の何ものも表現していない。思い過ごしだ」
と述べた人もおります。色々な考え方があると思います。

私は野尻の考え方にいたく共鳴する体験が何度もあります。

年賀状の季節ですが、私は子供の頃から年賀状の手書きの字を見ます。
「今年もよろしく」の一言でもいいので手書きを好みます。
その理由は燃焼を観賞するからです。
全て印刷されたものには何ら燃焼がありません。当然のことですが。

語るよりも手書きの文字から語りかけられます。
「元気です」とか
「体調が悪いです」とか
「困難に当たってます」ということが、
「絶好調」など。
色々な今が伝わって来ます。

その中で、時折全く心当たりのない感覚を受けることがあります。
「誰だこの字の感じは?こんな字の人に年賀状出してないはずだけど?」
と表を見て、ギョっとしたことが何度もありました。
「この人はこのような字の感じじゃない」そう思ったからです。
いつから変わったのか過去の年賀状を引っ張り出すこともあります。
去年のと比較してみて、まるで別人のようであることを感じます。

「何かとんでもないことが起きている」

連絡しようと思いながら、根っからの横着からしばらく経過します。
しばらくして、忘れたぐらいに話せる機会を得て「倒れていた」ということを知ります。
「いつ?」と聞き家に帰り年賀状を確認すると、まさにその年でした。
そうした経験が幾度もあります。書はそうしたものが尚更感じられます。

腕が未熟であるほど直接的に表出されますが、
どんなに書技を磨いてもその人の歩んできた人生を覆い尽くすことは出来ないそうです。
むしろ磨きに磨き個の存在感を徹底的に排除した後に、それでも残る個の存在感。
これが本当の意味で個性であると師は語ります。

書は、それまで生きてた人間業の結果を表している。

既に告知させていただきましたが、
2012/12/21から23まで、
私が事務局をさせていただいている泰永書展が
文京シビックセンター・ギャラリーシビック展示室1Bで開催されます。
お時間が許すようでしたら我々の人間業の結果を観賞しにきて下さい。

野尻泰煌:上手くなる方法(1)

上手くなる方法(1)
「書いているという意識がないぐらい当たり前のように日々書くこと」

野尻が度々聞かれる問に、「上手くなる方法というのはあるのですか?」というものがあるそうです。野尻は答えます。「書くことです」 すると、「書いてますけど?」とかえされ、一問答があるのですが、多くの場合、野尻は相手の理解力に委ねるため、問うた本人が理解することなく問答は終わるようです。以前私は、「明らかに相手が誤解しているのに、何故先生はそれを知りながらそのままにしておくのですか?」と聞いたことがあります。すると、「相手が理解出来ないことが明白なのに、それを説明するのは酷というものだよ」と言いました。


今になって思えば、この野尻の一言というのは非常に深く、素直な本音であり、氏の累々たる修行の果てに行き着いた答えを正直に照らしていると理解できます。それが何故多くの場合理解されないかの要因について、野尻は「当然だろうね」と私に語ります。
曰く、「理解出来ないということは、今現在その道程にいないということであり、ましてや通っていもいない。その上で、私の言葉を受け入れられないということは、言葉を受け入れる度量もないということ。その時点で何も語ることはない」ということのようです。

書に限らず、上手くなる手っ取り早く確実な方法は”やること”に他ならないと重ねて語ります。書ではあれば書くこと。そう言うと、多くの場合は先述したように書いてます』という言葉が返ってくるそうです。「沢山書くこと」と答えると、『沢山書いてます』と答える人もいます。
野尻の言う”書く”ということは、”書いているという意識があるのは書いたことにならない”という意味です。ましてや『沢山書いてます』というのは野尻の感覚では「私は書いてません」と宣言しているようなものだそうです。野尻は私に、「好きと嫌いとか、調子がいいとか、悪いとか、頑張っているとか、頑張れないとか、努力しているとか、していないとか、書いているとか、沢山書いているとか、言っているうちは土台話にならないんだよね」と語ります。

「ただ書くんだよ。とにかくやるの。それが近道。頭が働いているうちは土台無理だな」
 

第二十三回泰永書展 開催告知

私が事務局をしている師の書道会「泰永会」のご案内です。
第二十三回泰永書展


会期:12月21日()~23日()3日間
時間:11時~18時(初日のみ12時より)
場所:文京シビックセンター・ギャラリーシビック展示室1B Web
東京都文京区春日1-16-21
最寄駅
東京メトロ 後楽園駅/丸の内線(4a・5番出口)/南北線(5番出口)徒歩1分
都営地下鉄春日駅/三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分
JR総武線 水道橋駅(東口)徒歩9分
主宰:野尻泰煌
運営:泰永会事務局
入場料:無料

書技をいかに高めるか

どんな分野であれ、技術がなかれば現れてくるものは如何に才能があろうと稚拙なものになるのではなかろうか。それが例え天才と呼ばれる人であろうと。

書技を高める最短の方法は、やはり臨書かなぁと改めて思う。

しかし、ここに落とし穴があった。それは師である野尻が長い年月をかけ、私に「よく見るように」、「100枚いい加減に書くより、1枚のみ正確にか書くほうが価値がある」と耳にタコが出来るほど繰り返し伝えてくれた。その意味が腹に落ちてきた。
「いい加減に沢山書くという行為は単なる腕の運動でしかない。無意味だ。たった1枚であっても見えているものが正確に書け、それを繰り返せば身になる」と。

臨書をしていると、「おや、似ていないな」と改めて気づく。「何故似ていないのか?」と心を向け、書きながら自分を観察すると、運筆が早いと感じた。見る以上に早いため似ないようだ。見る方にエネルギーを注ぐと、自ずと運筆が遅くなった。その為、爆ぜたり、掠れたりはしないため、部分だけ見ると似たようには見えない。不満が湧いてくるが、それでも書き上げてみる。それから俯瞰してみると。
「さっきより似ているな」と気づく。

そう言えば、野尻が臨書をする時、運筆速度が落ちる。作品や手本を書く時の野尻は眼が追いつかないほど早い。過去に何千回、ひょっとしたら何万回と繰り返したであろう。完璧に覚えているであろうはずの野尻が、なぜ敢えてまだ見るとか以前問いた。
「見ないと観念が生まれるからだよ。覚えているよ。でも、そのままではいずれ観念へと移行するよ。だから覚えてなお見る。そうすると新たな発見がある」
その為、普段の運筆速度から変わるのだ。つまり今尚見ているということを意味する。観念で書いていないため遅くなる。
「見るんだよ。よーく見るんだよ」野尻は繰り返しいう。
「書けていないんじゃない。見えていないんだよ。見えていないから書けないのは当然だよ」

”見ること” これがまず書技を高めるようだ。

人間は眼からの情報量を7,8割がた頼っているようで、自分が興味がない部分は曖昧になるように出来ている。さぼるようにそもそも出来ていたと思う。見たことを全部記憶してしまうと、他の支障をきたしてしまうからに思う。その為に見た記憶は曖昧になるし、想像で勝手に補填しやすい。つまり、見ることは観念を移行しやすい。この”見えること”と”見ること”の攻防は生きている限り続きそうだ。それ故の野尻の臨書なのだろう。

次に来るのは敏になること。色々な意味で敏なのだが、今回は指先に注視したい。指先が敏にならないと筆のかつやくを正確にコントロール出来ない。筆先がわずかに紙に対し接しただけでわかるようになる必要がある。野尻の凄みはここにもある。まるで私とは次元が違う。高すぎて見えないぐらいだ。遠すぎて霞んでいる。お釈迦様と孫悟空と言えばいいか。いや、お釈迦様と村人だろう。

野尻は筆先が接した瞬間、筆のよじれ具合や向き、毛質のちがいなどもわかると言う。そんなバカなと思うかもしれないが事実そうである。ある日、筆を購入する前にいじっていると違和感に気づいた。「これ、1本違う毛が混じっているよ」と店主に告げる。そんなはずはないと店主。触ってもわからない、「これだよこれ!」とその1本を指し示す。まさかと思い筆屋に問い合わせたところ、1本誤って混入していたことがわかった。それほどまでに敏なのだ。

私は野尻の筆立ての使い方に注目していた。以前よりなんとなく気になっていたのだが、当時は何も考えていなかった。野尻は筆立てにズボっと筆を入れない。本来それでは筆が乾いてしまうし、グラっと揺れた際にバランスが崩れて筆が倒れてしまうだろう。だから、そういう意図では作られていないはずだ。しかし野尻は全ての筆立てに挿している筆がそうなっている。ズボっとささず、腰でとめる。私は最近になり、「まさかこれは筆先がつかないようにしているのではなかろうか?」と思うに至った。それを質問した時のことだ。

「よく気づいたねー。その通りだよ。こうしないと筆先がダメになるからね」

なんと、野尻はズボっとすると毛が圧力を受けて弾性が僅かに変化し、癖がついてしまうのがわかると言う。それを感じ、本人曰く「気持ちが悪い」と言う。書いていて違和感が気になり書くことに集中できないというのだ。筆というのは書いていると中から新しい毛が出てくるのだが、その毛のできがよくないこともある。すると、野尻はまだまだ使えるであろう筆を捨てる。
「最近の毛筆はどれもこれも出来が悪い。職人さんがいないんだよね。困っちゃうよ」 と嘆く。
以前、頼まれて筆作りの企画に参加したこともあるが、ことごとくダメだったという。何度も作りなおさせたけど、「まーいいかな」と思えるのは2,3本しかなかったそうだ。

あの指先の敏さが、あの作品を生み出している下支えになっているのは間違いない。

しかし一方では、「それはあくまで技術的なはなしであって、それは鍛えればどうといこともない。プロとしては最低限の世界だよ。芸術となるとそれだけではない。むしろもっと大変だよ」と自らの持って生まれた能力、鍛えに鍛え上げし能力をまるで毛ほどにも感じていない。

・見ること、見えること
・敏であること

まずはこれらが書技の根底にあるように思えた。