万人向け:書のメリットって?No2

書の価値

日本人が「書」を受け継ぎ続けた理由は複合的にあると考えます。その中心は 実利、実益、価値だと思います。しかしそれらは令和になりほぼ失われたと私は考えてます。メリットを詳しく知る前に過去を振り返りたいと思います。今回は昭和です。

昭和

当初、書は社会において収入こそ無かったものの実利、実益、価値がありました。その主たる要因は「手書き社会」だったからです。その実利は相当なものでした。硬筆の登場と普及によりある程度の価値の低下は発生しましたが、筆文字を必要とする場は少なからずあり「綺麗な筆文字」というのは価値を生みました。

私も記憶にありますが当時は硬筆も含め「文字が綺麗」というだけでかなりの能力認定がなされ、羨望の眼差しを向けられ、ましてや「書が綺麗」となったら驚かれたものです。また「書をやれば硬筆が上手くなる」という誤解が拍車をかけます。結果として書道塾が増えていき、多少なりとも収入になっていきます。

思い出

なお、私は極めて不器用で、どっちも下手だったので多年に渡り「書をやっていれば字が上手くなるんじゃないの?」というドストレートな質問を、驚きの眼差しで大人や同級生から多数向けられたものです。「ならないよ」と答えると「じゃあなんの意味があって書道なんてやってるの?」と質問が続きます。(笑)

実用と美

なお毛筆をやれば硬筆が上手くなるという一般認識は根本的には誤りですが、全く効果が無いわけではありません。古典を多年に渡り繰り返すと平面における空間および造形認識力が自ずと向上するので結体が無意識に修正されていくからです。

ただしそこまで反映されるには長い長い年月が必要になります。出来るだけ簡単に「一見上手に書ける」ようになるには「硬筆」を学ぶといいでしょう。書においても同様で「とりあえず筆で文字がかけるとカッコいい」という思いなら「実用」を習う方がいいでしょう。

鳳煌会で「実用」と「それ以外」に分けているのもその為です。ただし「実用」が主体なら「美」や「成長」は横へ置いておく為、自ずと天井は低くなります。何より危険なのは実用から興じて「書」の道へ入るのは容易ではありません。

書家の野尻泰煌曰く「無理だね。それが出来るほどの才能があるのなら実用は先んじないよ。才能が無いからそういう視点なんでしょ」と仰っしゃいました。というのも、一度「実用重視」でついた手癖はほぼ一生涯付き合うことになるかもしれません。それもあって嘗ての賢人たちは「まあまあ」と言いながら長い道のりを先導していかれたのだと思います。

稼げない

「稼げたか?」と問うと、下々の者はそれほど稼げなかったようです。当時公務員は給料が安く、その補填に塾を経営されていた方が多いように見受けられました。実際、私の知る範囲ですが公務員の方がやられていたケースが多かったように思います。勤め人と違い時間だけは自由になったからです。

推測ですが、書道塾が隆盛を極めたのも昭和後期以後でしょう。本当の意味で実益を享受出来たのは上層部の一部の者達だけだったに思います。そして、けしてその期間は長くは無く、恐らくは2世代ぐらいでしょう。

そうなる前は、私の師匠の師匠だった先生等は朝から晩まで働き通しで、仕事中の空いた時間に監視の目を盗んで捨てられた切符の裏側に持ち歩いていた小筆を走らせるという行為を延々と続けていたそうです。そして、その師匠になると所謂パトロンによって支えられていたという具合で、当時はある時で稽古代が「お酒」だったりしたそうです。その基本において稼げない時代の方が長いのです。

教養主義

昭和後半は勢いがあったのが寄与してました。教養主義を背景に、国民に内包されていた教養に対する強い憧れは、結果的に芸術分野に価値を生み出したように思います。

それが転じて、理論や知識だけで、実際には筆もろくに握ってない「知っている」だけの存在も価値が出来た(錯覚)時期にも思えます。

それが浸透すると、回り回って「書をやっている」だけで嫌な顔をされることが随分ありました。そうした方は高齢者に多かったことが思い出されます。同年代だと「へー」=「興味なし」で、大人達になると「稼げないよ」という反応です。何故悪意を向けられるのか子供心に謎でした。

その理由はそうした背景から来た高慢な美術関係者によってもたらされたと後に知ります。自身の経験でも美術に携わる人の多くは「無闇矢鱈に偉そうだな」と感じる方が多く、音楽関係者も含め印象は非情に悪かったのが思い出されます。今にして思うと長い期間におよぶ立場の低さから来た反動と教養主義の悪しき側面に思います。

そうした方々は二言目には「こんなことも出来ないの!」とか「こんなことも知らないの!」とか「岡倉天心に言わせればね」となります。野尻泰煌曰く「書が芸術じゃないという人は、悲しいかな単なる無知か、美術に対する造詣が浅いか、センスが無いか、その全てか」と仰っしゃりました。自分なりに考察を踏まえていき、体感を加え、後になるほど!と合点がいったものです。

高度成長による生活への僅かな余裕と、そうした憧れが多くの国民に習い事へ走らせた、その一つに書道塾があったように思います。

実益

結果、徐々に稼げるようにもなっていったに思います。書道塾の隆盛期です。月謝という形で収入が入るようになり、国民の生活も安定してきたので、ちゃんと払らってもらえるようになって行きます。そこへ教養主義から来る「どの習い事している?」という日常会話へと繋がり、同調化バイアスが強く働いていきます。更に生徒は増える。そういう時期です。

昭和後期には相当数の同級生が、習字、そろばん、ピアノ、学習塾、英語塾の何れか、もしくは複数に通ってましたし、歳をおうごとに競うように増えていきました。私は幸い親が良かったのか「行きたくなければ行かなくていいよ」と言われ、書道塾以外は行きませんでした。書道も単に先生がいい人だったので通っていたに過ぎません。字が上手くなろうなどという意識は皆目持ち合わせてませんでした。皆、次第に忙しそうになり、逆に可愛そうだと思ってました。

思い出

恥ずかしながら私も子供時代にピアノを習いましたが、片手でひける猫踏んじゃった辺りが一番楽しくやれ、両手のバイエルになった途端、余りにも私が不器用で出来ないものだから先生が発狂してしまい、そんな先生が怖くて速攻でヤメました。(笑)

次回へ続く。

※本シリーズはタグ「書のメリットって?」をクリックすると纏めて記事を読むことが出来ます。

 

投稿者: 松里 鳳煌

Calligrapher,Novelist,DTP Worker,Type Face Designer. YATAIKI representative. HOKO-KAI representative. Vice president TAIEI-KAI association. GEIMON-KAI members.

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