経験者:筆を毎日洗うには

シリーズ「書の周辺部」です。書に纏わる周辺部の話が出来ればと存じます。カテゴリ「書の周辺部」で纏めてありますのでご興味がありましたら御覧ください。

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万人向け:書のメリットって?No2

書の価値

日本人が「書」を受け継ぎ続けた理由は複合的にあると考えます。その中心は 実利、実益、価値だと思います。しかしそれらは令和になりほぼ失われたと私は考えてます。メリットを詳しく知る前に過去を振り返りたいと思います。今回は昭和です。

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万人向け:書のメリットって?No1

はじめに

文章を通し、「書」に少しでも親しんでいただければと思い、今後幾ばくかでも書いていこうと思います。ご興味がありましたらご一読いただけると幸いです。 “万人向け:書のメリットって?No1” の続きを読む

お知らせ:鳳煌会の指導方針を公開

長いこと師(野尻泰煌先生)には、「言葉は何も産まない。慎むように」と言われてきた関係でこうした文章を書くことを避けて来ましたが、縁あって望まれたことを期に纏めてみました。 “お知らせ:鳳煌会の指導方針を公開” の続きを読む

道具の誤解

書道あるあるに該当する内容です。
長いこと気にも止めていませんでした。
よくあると聞きます。

例えば、ある先生が「あ」という筆をもっていた。
「欲しいなぁ」
と馴染みのお店に行き、

「”あ”という筆ありませんか?」
と尋ねます。すると店員は
「は?」
といった、困った顔をしてます。
これは買う側が前提条件を知らないことでしばしば発生することです。

書道用具は実は卸先店舗で名前が変わります。中身は同じです。
”A”という店舗では”あ”という筆が、”B”という店舗では”い”に変わっています。
なので当然お店のスタッフは「ありません」となります。
筆にかぎらず、紙等も卸先によって名前が変わります。

なので、

・どの店で、
・なんという商品名の
・なんなのか

この3点は最低限おさえる必要があるでしょう。
間違わない為に、価格も知っておいたらベストですね。
尚、その情報をもって馴染みの店に行っても無駄です。
該当するお店に行きましょう。
何故なら、どの店の何が自分の商品に該当するかお店の方はご存じないからです。

ちなみに私は、
上野駅にある劫榮麓(こうえいろく)を馴染みにしております。
送料はかかりますが発送にも対応してくれ、
紙は重いので発送で、筆類は直接買いに伺います。
大至急の際は、新宿の某店で買いますが・・社長すんませんw

書道展の表具もここにお願いしております。
毎回、書道展のチラシやポストカード、ポスター等を置かせてもらっております。
だいたい開催一ヶ月前にお伺いし、置いていきます。
今まさに置いてあると思いますよ。
このお店には可愛い店員さんもいます。いや、ほんと。

筆をおろす2

「筆をおろす」という記事のアクセスが非常に多いので、
私のやり方を書いておきます。

筆は購入時、糊で固められております。
それを溶かすのが「筆おろし」ということです。
糊で固めるのは、保存、毛を痛めない、筆をまとめる等、実用的な意味があります。
当然使う際には必要がないので溶かす必要が出てきます。

1.500ccのペットボトルを用意する。

2.毛先がうまる程度の水を入れる。

 
今回使う筆は
上野駅にある劫榮麓製
10,500円のミンク筆
私が普段使っている筆です。
3.筆のキャップをとります。
 筆のキャップを大事にとっておく方もおりますが。以後使いません。
 水に溶かした筆をキャップを入れるのは百害あって一利なし。
 捨ててしまって構いません。
 持ち歩きたい方は、「筆巻き」を買いましょう。
4.ペットボトルの口にセロテープで筆を仮固定します。
  入念にやる必要はありません。
5.24時間つけおき、ペットボトルを数回振ってから水を捨てます。
6.また水を入れ、同じように固定します。
7.ペットボトルを数回振り、また24時間放置します。
8.ペットボトルを数回振り、水を捨てます。
これで毛先や筆を痛めず、
横着も出来て、
綺麗に糊をとることが出来るでしょう。

 2度やるのは糊を完全にとるためですが、
面倒な方は1度目の水を捨てた後、新しい水の中で筆を泳がせて使っても構わないでしょう。

固まった筆の再生

筆は横着するといとも簡単に根本から固まっていきます。
夏場などは3日、p書かないと根本からカビます。

筆はある程度の期間ごとに洗っていないと根本から徐々に固まっていきます。
さりとてマメに洗うと毛が痛みます。
毎日書いている場合は3日に1度ほど筆の根本に水をかけ、筆たてに置いておくだけで平気です。

怠ってしまい鍾乳石のごとき根本から固まっていき、
気づけば半分も固まっていた。なんてことはありませんか?
一度固まってしまうと、水やお湯でも溶けない。それが墨です。
ガシガシやると毛が駄目になるだけです。

恥ずかしながら、私も過去によくそうしたことがありました。

「筆をダメにした」と捨てるのはまだ早い。


筆は1週間から10日ほど水につけることで再生させます。

単純に1週間も容器に入れっぱなしにすると、筆先が変形し癖がついててしまうので一工夫をします。
(方法)

・500ccのペットボトルを用意します。
・筆先が完全につかる程度の水を入れます。入れすぎはいけません。
・筆をペットボトルの口にセロテープで仮固定します。入念にやる必要はありません。
・1日に1から3回程度ペットボトルを横に数回振ります。
・水は毎日入れ替えます。
・1週間から10日待ちます。

これだけです。
カチカチに固まっていた墨が徐々にはげおち、水にも溶けていきます。
根本まで綺麗に復活。

こんな感じにつります。
(写真の筆は新品です)

ほぼ根本まで墨が溶けました。
この筆は5割ほど完全に固まっておりました。

(ご注意)

指でもむのは止めましょう。
毛が痛みますし、
毛のまとまりが崩れてしまいます。

野尻泰煌:上手くなる方法(1)

上手くなる方法(1)
「書いているという意識がないぐらい当たり前のように日々書くこと」

野尻が度々聞かれる問に、「上手くなる方法というのはあるのですか?」というものがあるそうです。野尻は答えます。「書くことです」 すると、「書いてますけど?」とかえされ、一問答があるのですが、多くの場合、野尻は相手の理解力に委ねるため、問うた本人が理解することなく問答は終わるようです。以前私は、「明らかに相手が誤解しているのに、何故先生はそれを知りながらそのままにしておくのですか?」と聞いたことがあります。すると、「相手が理解出来ないことが明白なのに、それを説明するのは酷というものだよ」と言いました。


今になって思えば、この野尻の一言というのは非常に深く、素直な本音であり、氏の累々たる修行の果てに行き着いた答えを正直に照らしていると理解できます。それが何故多くの場合理解されないかの要因について、野尻は「当然だろうね」と私に語ります。
曰く、「理解出来ないということは、今現在その道程にいないということであり、ましてや通っていもいない。その上で、私の言葉を受け入れられないということは、言葉を受け入れる度量もないということ。その時点で何も語ることはない」ということのようです。

書に限らず、上手くなる手っ取り早く確実な方法は”やること”に他ならないと重ねて語ります。書ではあれば書くこと。そう言うと、多くの場合は先述したように書いてます』という言葉が返ってくるそうです。「沢山書くこと」と答えると、『沢山書いてます』と答える人もいます。
野尻の言う”書く”ということは、”書いているという意識があるのは書いたことにならない”という意味です。ましてや『沢山書いてます』というのは野尻の感覚では「私は書いてません」と宣言しているようなものだそうです。野尻は私に、「好きと嫌いとか、調子がいいとか、悪いとか、頑張っているとか、頑張れないとか、努力しているとか、していないとか、書いているとか、沢山書いているとか、言っているうちは土台話にならないんだよね」と語ります。

「ただ書くんだよ。とにかくやるの。それが近道。頭が働いているうちは土台無理だな」
 

書技をいかに高めるか

どんな分野であれ、技術がなかれば現れてくるものは如何に才能があろうと稚拙なものになるのではなかろうか。それが例え天才と呼ばれる人であろうと。

書技を高める最短の方法は、やはり臨書かなぁと改めて思う。

しかし、ここに落とし穴があった。それは師である野尻が長い年月をかけ、私に「よく見るように」、「100枚いい加減に書くより、1枚のみ正確にか書くほうが価値がある」と耳にタコが出来るほど繰り返し伝えてくれた。その意味が腹に落ちてきた。
「いい加減に沢山書くという行為は単なる腕の運動でしかない。無意味だ。たった1枚であっても見えているものが正確に書け、それを繰り返せば身になる」と。

臨書をしていると、「おや、似ていないな」と改めて気づく。「何故似ていないのか?」と心を向け、書きながら自分を観察すると、運筆が早いと感じた。見る以上に早いため似ないようだ。見る方にエネルギーを注ぐと、自ずと運筆が遅くなった。その為、爆ぜたり、掠れたりはしないため、部分だけ見ると似たようには見えない。不満が湧いてくるが、それでも書き上げてみる。それから俯瞰してみると。
「さっきより似ているな」と気づく。

そう言えば、野尻が臨書をする時、運筆速度が落ちる。作品や手本を書く時の野尻は眼が追いつかないほど早い。過去に何千回、ひょっとしたら何万回と繰り返したであろう。完璧に覚えているであろうはずの野尻が、なぜ敢えてまだ見るとか以前問いた。
「見ないと観念が生まれるからだよ。覚えているよ。でも、そのままではいずれ観念へと移行するよ。だから覚えてなお見る。そうすると新たな発見がある」
その為、普段の運筆速度から変わるのだ。つまり今尚見ているということを意味する。観念で書いていないため遅くなる。
「見るんだよ。よーく見るんだよ」野尻は繰り返しいう。
「書けていないんじゃない。見えていないんだよ。見えていないから書けないのは当然だよ」

”見ること” これがまず書技を高めるようだ。

人間は眼からの情報量を7,8割がた頼っているようで、自分が興味がない部分は曖昧になるように出来ている。さぼるようにそもそも出来ていたと思う。見たことを全部記憶してしまうと、他の支障をきたしてしまうからに思う。その為に見た記憶は曖昧になるし、想像で勝手に補填しやすい。つまり、見ることは観念を移行しやすい。この”見えること”と”見ること”の攻防は生きている限り続きそうだ。それ故の野尻の臨書なのだろう。

次に来るのは敏になること。色々な意味で敏なのだが、今回は指先に注視したい。指先が敏にならないと筆のかつやくを正確にコントロール出来ない。筆先がわずかに紙に対し接しただけでわかるようになる必要がある。野尻の凄みはここにもある。まるで私とは次元が違う。高すぎて見えないぐらいだ。遠すぎて霞んでいる。お釈迦様と孫悟空と言えばいいか。いや、お釈迦様と村人だろう。

野尻は筆先が接した瞬間、筆のよじれ具合や向き、毛質のちがいなどもわかると言う。そんなバカなと思うかもしれないが事実そうである。ある日、筆を購入する前にいじっていると違和感に気づいた。「これ、1本違う毛が混じっているよ」と店主に告げる。そんなはずはないと店主。触ってもわからない、「これだよこれ!」とその1本を指し示す。まさかと思い筆屋に問い合わせたところ、1本誤って混入していたことがわかった。それほどまでに敏なのだ。

私は野尻の筆立ての使い方に注目していた。以前よりなんとなく気になっていたのだが、当時は何も考えていなかった。野尻は筆立てにズボっと筆を入れない。本来それでは筆が乾いてしまうし、グラっと揺れた際にバランスが崩れて筆が倒れてしまうだろう。だから、そういう意図では作られていないはずだ。しかし野尻は全ての筆立てに挿している筆がそうなっている。ズボっとささず、腰でとめる。私は最近になり、「まさかこれは筆先がつかないようにしているのではなかろうか?」と思うに至った。それを質問した時のことだ。

「よく気づいたねー。その通りだよ。こうしないと筆先がダメになるからね」

なんと、野尻はズボっとすると毛が圧力を受けて弾性が僅かに変化し、癖がついてしまうのがわかると言う。それを感じ、本人曰く「気持ちが悪い」と言う。書いていて違和感が気になり書くことに集中できないというのだ。筆というのは書いていると中から新しい毛が出てくるのだが、その毛のできがよくないこともある。すると、野尻はまだまだ使えるであろう筆を捨てる。
「最近の毛筆はどれもこれも出来が悪い。職人さんがいないんだよね。困っちゃうよ」 と嘆く。
以前、頼まれて筆作りの企画に参加したこともあるが、ことごとくダメだったという。何度も作りなおさせたけど、「まーいいかな」と思えるのは2,3本しかなかったそうだ。

あの指先の敏さが、あの作品を生み出している下支えになっているのは間違いない。

しかし一方では、「それはあくまで技術的なはなしであって、それは鍛えればどうといこともない。プロとしては最低限の世界だよ。芸術となるとそれだけではない。むしろもっと大変だよ」と自らの持って生まれた能力、鍛えに鍛え上げし能力をまるで毛ほどにも感じていない。

・見ること、見えること
・敏であること

まずはこれらが書技の根底にあるように思えた。